掃除と捨てること

アニミズムというのがあります。
自然物や道具などには精霊や何かが宿ったりしていて、それを祀ったり意識する感じ。

小さい頃、私は使い込んでいた道具や物が壊れると、親族には黙って隠れて泣いて、
それを土に埋めてお墓を作ってました。
自分の家の庭に作るとばれてしまうので、朝登校する時に壊れた物を家から持っていって、通学路の途中にお墓を作りました。
とにかく何かが壊れたり、壊してしまった時は一人でひどく悲しんだものです。
勿論一人でしか実践していません。誰かを誘うなんて私には到底出来ないことです。
出来たとして頭がおかしいと思われて終了です。

なぜお墓を作ろうと思ったのかは今となっては知る由も無く謎のままです。けれど、大切なものが壊れたりした時は誰でも悲しくなるのは当然の事かと思います。
多分そんな感覚からお墓を作ったのかもしれません。

去年地元に帰ったときいまだにそのお墓があることに気がついて懐かしいなあと思いました。

今ではお墓を作るなんてバカバカしく、中二病も可愛いものだ、なんて思っていました。

ところがある日、使い込まれていたと思われる道具や家具が無造作に
捨てられている光景を見てしまい、ふっとそのときの感覚が蘇りました。
捨てられた理由は有れどもなんとも言えない気分になりました。
(傍から見たら私は明らかにおかしい人かもしれない

道具を捨てた主は、別れを惜しみつつ泣いたのでしょうか。
それともこれは道具だ、と割り切って捨てたのでしょうか。
このときの感覚は怒りとか悲しみとかそんなのではなくて回想するような感じ。

最近は人間は道具を作ったり使ったりする立場だけど、使われる立場となってはいけない、
なんて考えが強いです。
なので、今の私は心置きなく物を捨てられるようになっています。
ちょっと使えそうでも捨てます。なぜなら結局後になって使わないなら
生殺しよりも道具にとって良いと利己的に考えたからです。

と、意識しながら部屋を片付けている時点で、アニミズム思想は
まだ私の中に生きているみたい。恐るべし。一体なんの刷り込みなんだろ。

物にも意識があるのだったら俺は散々文句を言われているのかもしれないなぁ。
とりあえず、道具に殺されないように日々生活することを心がけます。




結論。お墓に埋めて泣いてた事よりも不法投棄自体がヤバイですぜベイベ
ああ、なんか完璧にあぶない人だ。自重すべし(できんのか